次は、私の行きたい場所「音戸大橋」「大入魚雷遠距離発射場跡」へ行く。
「音戸大橋」は、「大入魚雷遠距離発射場跡」へ行く途中にある。この「音戸大橋」は、呉市と倉橋島を結ぶ。あと「第二音戸大橋」・「第三音戸大橋」とある。その中でも、「音戸大橋」はループ式の道路で有名だ。倉橋島側は、用地の関係でループ橋グルグル。昔は有料だったそう。
呉市と倉橋島の海峡幅約90。日本一短い航路「音戸渡船」がある。
音戸の瀬戸公園。営業してない?
こっちは、「第二音戸大橋」
そして、「大入魚雷遠距離発射場跡」へ。
地図では確認出来るのだが、車からなかなか確認が出来ない。あるだろうという近辺を行ったり来たり。

そして、ようやく確認出来たのだが、車を止める場所がない事と、どうも工場の敷地内からではないと見れないようだ。ん~困った。
※道が狭く、交通量が多いので注意。
ここまで来たのだから、どうしても見たい。ここはダメもとで工場に掛け合ってみた。
私「お忙しいところ、すみません。回天の発射場跡見せて貰えないでしょうか?」
受付の人「少々お待ちください」
すると、男性の方が出てきて「どうぞ!案内します」えっ?OK貰っちゃった。
私「ありがとうございます」
男性「一応、ヘルメット被って貰えますか?何かの取材ですか?」
私「ただの物好きです。ひょっとして私みたいな人来るんですか?」
男性「年に1~2人来るんですよ。こないだも、雑誌の取材かなんかで来てましたよ」
やはり、来るんだ。今は、鉄の橋が架かっているが、昔は回天を運ぶレールが敷いてあったそう。
「向こうまで渡れますか?」と聞いたところ、危ないのでダメだそうです。
回天の試作機の航走試験をしていた。
今は、民間の工場になっているが、当時は第三魚雷調整所、魚雷納庫準備場、作業所などあった。今でも工場の門は、同じ位置で使われている。
現在、「大入魚雷遠距離発射場跡」は誰も管理してなそうだ。工場側としては撤去したいそうだが、撤去するにもお金が掛かるし誰の持ち物かハッキリしないらしい。残念ながら、おそらくこのままの状態でだろう。そして、いつか崩れ落ちてしまうだろう。近くで見せて貰ったが、かなり老朽化が進んでいる。何とか管理できないものか?というのも無責任な話だし・・・。
工場の皆様、案内をして頂いたご担当の方(お名前を聞くのを忘れてしまった)お忙しい中、本当にありがとうございました。
そして次は、Googleの地図を見るともう一つ「旧海軍回天史跡」と書いてある所へ行く予定だったが、帰りの新幹線の時間もあるので残念ながら時間切れ。これも後で調べて見たのだが、この「旧海軍回天史跡」の情報が全く無く、実際見てみないと分からないが、おそらく今はもう無いのではないかと思う。ただこの場所、冠崎(地図では観音崎)呉海軍工廠の作業場・地下工場があったようで、そこで回天、燃料「甲・乙液」を製造していたそう。そして岬には、巡洋艦「最上」の3連装砲が砲台ごと付けられていた。これは事前によく調べてぜひ次回訪問したい。
呉駅へ到着。レンタカーを返却。
少しだけ呉駅周辺散策して、広島駅へ向かう。ちょうど帰宅時間で、会社・学校帰りで車内満員。
広島駅到着。新幹線の時間まで少し時間があるので、駅を散策してお土産を買う。
定番のにしき堂のもみじ饅頭。マツダ国内生産累計5,000万台記念パッケージ。


広島駅20:01 のぞみ64号に乗る。
何とか自由席に座れた。ほぼ満席。最終の東京行きだからね。実は、17:00ちょうどの広島発の指定席を取っていたのが、江田島に行き見る所に時間が掛かったのでこんな遅い時間の新幹線になってしまった。
車内では、寝ることもなく今回の旅の総括を知り合いと話した。(お互い寝てしまうと東京まで行ってしまいそうで・・・)海上自衛隊第一術科学校、回天跡もじっくり見れてないし、大和ミュージアム、てつのくじら館も見てない。不完全燃焼である。ということで、総括した結果、
「また、行きたいなぁ~」
近々行くことになるのだろうか・・・。 終わり。

